今回のイベントで驚いたのが、なんとまぁ戦前モデルの多い事!こんなに戦前の車って残ってるの?!と言うくらいゾロゾロと集まってきた。
ここで少しシトロエンのスタートを振り返ってみましょうか。
当時のアンドレシトロエンはアメリカのフォードの技術に惚れ込み、弾薬不足に陥っていた第一次大戦の戦局に目をつけ、フォード式大量生産技術をもって弾薬の大量生産を可能にした。この弾薬工場が建てられたのは後に数々の名車が生まれる有名なジャベルの地である。
大戦が終わり、本格的に自動車製造に乗り出したアンドレはここでもフォード式の量産技術を使う事で、安価で庶民が手に入れやすい価格帯の車の製造に成功する。
続けてバット社より全鋼製のボディ製作技術を取得した。それにより、ヨーロッパ発のオールスチール製のボディを纏った車が1925年に完成した。
多くの事に挑戦したアンドレだったが、中でも有名なのは「黒い巡洋艦隊」と呼ばれたアフリカ探検じゃないだろうか。
ボディ後半部をクローラに変えた車両を製作し、アルジェリアのアルジェからマリのトゥンブクトゥまで7000kmを走破してサハラ砂漠横断に成功すると、2年後にはアルジェリアのコロンベシャールからマダガスカル島のタナナリヴォまでの2万kmを8か月で走り切り、アフリカ大陸横断を達成した。
広告宣伝でも当時としては斬新な手法を用いて、C42に代表される車両展示方法を採ったりと、非常に上手い手法を取り入れていた。
戦前のフランスにおける自動車業界で上り詰めたアンドレはエッフェル塔に社名が灯ったときは忘れられない瞬間となったのではないだろうか。遂にここまで来たか。と
革新を求めるあまり膨大な開発費用を要したトラクシオンアヴァンでシトロエンは破綻に追い込まれてしまう。
そのよくねんアンドレも失意の中で他界してしまう。
そんなシトロエンの救世主となったのはタイヤメーカーのミシュラン。
シトロエンの副社長となったピエールブーランジェの功績によって、後のDSなどのモデルが作られていく。革新の火は確実にアンドレより受け継がれていた。