ピエールブーランジェ率いるシトロエンはトラクシオンアヴァンのヒットで大きく躍進する事となる。
トラクシオンアヴァンは当時画期的であったFFを採用した事で有名だが、次に登場するDSの開発が遅れを取っていたこともあり、約23年間というとても長い期間製造され続けた車でもある。
最後期になるとDSに用いられる事となるハイドロニューマチックシステムがリアサスペンションに試作として採用されていた。
競合がフェンダー一体型のモダンシェイプなモデルをどんどん投入する中トラクシオンアヴァンで遅れをとっていたシトロエンだったが、遂に1955年のパリサロンで待望のDSがデビューする。2年程はトラクシオンとの併売でスタートを切った。
ピエールブーランジェのもと開発コード“VGD”で始まったDSだが、
・軽量かつ低重心あること
・モダンで空力特性に優れていること
・重量配分を2:1にすること
・フロントトレッドを広くリアを狭くすること
・画期的なサスペンションを導入すること
という複雑極まりない要求を満たす為に膨大な時間を要し、開発期間がとても長くなってしまった。途中ブーランジェが亡くなり、後継社長のロベールピュイズが引き継いだ。
55年のパリサロンでデビューしたDSはそのフォルムから異次元の車と称され、短時間でとても多くのオーダーを獲得し、1万台を超えるバックオーダーを抱えるほどであった。
デビュー当初DSはトラクシオン由来のエンジンを使用しており、ロングストロークエンジンは過去いささか古さを隠せないでいた。
1967年後半になるとLHMシステムと共に改良型のシュートストロークエンジンに換装されることとなる。同年に砲弾型ヘッドライトだった前期モデルから4灯式コンビネーションライトへと変更される。このデザイン衣装は当時傘下に入ったパナールからの影響が大きく出ていた。
そして1970年にはFF車で200km/h越えを目指し開発されたSMがデビューする。
その為にシトロエンはマセラティを傘下に据え、専用設計のV6を開発しSMに搭載させた。
だが、オイルショックの影響や、シトロエンの経営悪化に伴いマセラティとの提携を解消し、1975年で生産を終了する。
翌76年にシトロエンはプジョー傘下となりPSAが誕生する。
よって1974年にデビューするDSの後継車であるCXが最後の純潔シトロエンと呼ばれる所以である。
CXはマイナーチェンジを繰り返し、1985年にビッグマイナーチェンジが施されシリーズ2として販売されて89年まで生産された。
そしてベルトーネデザインでXMがデビューするのである。